行政書士を独学で学び、極貧生活から脱却!

高校の学費は奨学金でなんとかまかなうことができました。
だが生活費は父に頼ることが出来ないので、自分の生活は自分で面倒をみようと決めていました。
高校生になれば行動範囲が広がり、堂々とバイトすることも出来る。
カラオケ店、コンビニ、ビラ配り、土木作業員など可能な限り多くのバイトを経験しました。
働けばお金が入る、お金が入ればご飯を食べることが出来る、友達と遊ぶことも出来る。
とにかく働いてお金を貰うことが嬉しくてしょうがなかった、そんな記憶が今でも鮮明に残っています。

その一方で、家庭環境が悪ければお決まりのパターンである不良といわれる友達との付き合いもはじまりました。
あの時は寂しかったのだと思います。家に帰ってもぐうたらしている父、目が合えば喧嘩かお金の話ばかり。
とにかく今の自分の辛さをわかってくれる仲間が欲しかったし、家に帰りたくなかった、これにつきます。
しかし不良といっても私は正義感が強く、抵抗してこない相手と喧嘩をすることもありませんでしたし、喝上げはもちろん、薬もたばこもやることはありませんでした。
逆にやっていた友達を見ていたら罰していたくらいです。唯一やっていたことといえばお酒くらいです。この友達との思い出が高校時代の唯一の救いでした。

父との生活は最悪なものになっていました。
生活保護を受けていた父はお酒とパチンコで生活費を使い果たし、家賃もろくに払わなく、半年間も滞納していました。
大家さんからは「早く出て行ってくれ」といわれていましたが、それでもここを出てしまえば、間違いなくホームレスになるのは目に見えていました。
大家さんにお願いして私のバイト代を毎月少しずつでも入れるので何とか、住まわせてもっているそんな状態でした。
電気、水道、ガスも良く止められ友達の家で、お風呂を借りていたことが度々で、本当に悲惨な生活です。
バイトをたくさん掛け持ちしていましたが、それでも生活費は足りない日々が続きました。
そんな時、ある人の紹介で、学校終わりの3時間程度、行政書士事務所でバイトさせてもらうことが出来ました。
内容は書類の整理や電話番でしたが自給も高く、仕事にやりがいを感じていました。
この頃からです。少しずつ行政書士に興味を持ちはじめたのは。人間は不思議なものであれほど嫌ってた父と同じ仕事に魅力を感じるのだからやはり遺伝的な何かがあるのではと思ってしまいます。

そして高校3年になり、将来のことを考えるようになりました。
大学入学も考えましたが、4年間、バイト、バイトの生活をすることが目に見えていましたし、私にしたら長すぎる。
すぐにでも働いてお金を稼ぐことをしたかったので、就職を決意。色々会社を受け、一社内定を貰うことができました。
しかし給料が手取り、13万円と私にしたら安すぎます。父との生活を考えれば最低、20万はほしいとこでした。
そこで思いついたのは、夜の世界。たまたま学校の先輩がショットバーとスナックを経営していて、給料も希望通りもらえそうなので、そこに働かせてもうことに決めました。
又、いつかは行政書士になろうとも決めていましたから、昼間は独学で行政書士の勉強に当てようと思っていました。

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